秀ちゃん

患者さんに自分の名前を呼んでもらえると嬉しい。他の誰でもない私を呼んでくれている事に自分の価値を見出だせる気がする。

だから、なかなか個別の認識が難しい患者さんにも「私誰だっけ?」「さ.い.き!」「はい、言ってみて」なんて暇があると、そんなふうに繰り返して名前を覚えてもらっている。

ここからは、大好きな秀ちゃんの話。

秀ちゃんは頭の薄い70代のおじさん。

秀ちゃんはご飯食べたり寝る以外は基本、1日中床に落ちている髪の毛をって拾っている。それが仕事かのように一本一本拾い、1箇所に集める。集めたからって何にもならないんだけど、無心で拾っている。 スタッフが意地悪して集めた髪の毛を手で払うと本気で怒ってくる。

あとは、自分の乳首をいじったり、おちんちんをいじったりをみんながいる場所でも披露してしまうので、「なにやってんだ!おめぇは、ばか!」と威勢のいいヘルパーさんにはたかれる。時には乳首をぎゅぅとつままれて「いてぇ、いてぇ」と騒いでいた。

秀ちゃんに話かけても内容がない答えしか帰ってこない。何をきいても「えー、どうだろうねぇー」「なんだかねーぇー」「そうだねぇー」とかそんな調子だ。

だけど、たまに意味もなく笑う時があってその顔がなんだか可愛くて憎めなかった。

私は秀ちゃんに名前を呼んで欲しくて、根気よく教えた。はじめは「秀ちゃん、私だれだっけ?」と聞いても、「さぁー だれだろうねー」と言った感じだった。しかし繰り返しとはすごいもので数ヶ月で秀ちゃんは私の名前を覚え、「誰だっけ?」の問いに「斉木さんだろぅねぇー」と答えてくれるようになった!なんと言う喜び!

アッパレ!

だけど話はこれから。

秀ちゃんはある日の夜、噴水様に嘔吐した。血圧が180超え、日勤者が来た時間には目の焦点が合わず、明らかに異常だった。脳のCTで脳出血の疑いがあることが分かった。うちは精神科なので専門の病院への緊急の入院が必要になる。その日の日勤リーダーは私。師長も主任も頼りになる先輩達はみんな休みだ。ドクターが転院先をあたり、相談員は家族と連絡を取る。でも、家族との連絡がなかなかつかず(精神科あるあるで、家族と患者さんの関係が希薄なのだ。遠い親戚がキーパーソンになっていたりする。)スムーズに事が運ばない。

やっと転院先が決まり、相手方の病院に出す情報提供の書類をドクターが作る。看護側が転院サマリーをあげるのだか、その日の日勤者にそれを頼めるスタッフはいなかった。頼むより、自分で作成したほうが確実に早いと思うスタッフ構成だった(申し訳ないけど。)リーダー業務をしながら昼ご飯も無視してサマリーをつくり、病院車も外診で出払っていたので、救急車を病棟から呼び、わたしが救急隊員を秀ちゃんのベッドまで誘導した。リーダーとしてここは病棟に残るべきだったけど、救急車への添乗も頼めるスタッフがいない。確実に残業になるし、向こうの病院である程度病状を説明しなければいけない。正直、任せられるスタッフがいなかった。       

師長に電話を入れ、状況を説明し私が救急車に乗って病院に向かうことになる。リーダー業務をしたことのないスタッフにリーダー業務も振れず、転院準備も振れず、添乗まで引き受けパニック状態だが、私はどーかんがえたって脳出血してからだいぶ時間経ってる秀ちゃんと救急車に乗り込み、脳神経外科へ向かった。

救急車搬入口から運びこまれると、永ちゃんの周りに5人くらいして看護師がバッと取り囲む。「病院からきたのに点滴もしてないなんて、何かんがえてるの!?」と看護師に怒鳴られ、「すみません」と謝る。ドクターの指示でテキパキとバイタル測定やルート確保がおこなわれ、あっと言う間に秀ちゃんは病棟にはこばれていった。

その後、家族は遠方で入院の手続きに来れないため、後見人さんに病院まで来てもらってから私は自分の病院に戻った。もう病棟にひ日勤者は誰もおらず、夜勤者が忙しく業務をこなしていた。怒涛の1日が終わった。

 

秀ちゃんは3ヶ月で治療を終え、病棟に戻ってきた。

 

脳出血の後遺症や、長期ベッドで寝ていたこともあって、秀ちゃんは歩けなくなっていたし、髪の毛にも何の関心もしめさないどころか、自分の意思とは関係なく首をニワトリのように振るような姿になって帰ってきた。もちろん話しかけても無反応で、目が合えばいい方といった感じだった。

変わってしまった姿の秀ちゃんに私はなをも「秀ちゃん!私だれだっけ?わすれちゃったの?一緒に救急車乗った仲でしょ?」と話かけた。もちろん、うんもすんもない。だけど、もう一度あの時みたいに名前を呼んで欲しくて、呼びかけることを続けていた。

再入院してから5ヶ月くらい経ったころかな、その日も何も期待せず、秀ちゃんに「秀ちゃん、私だれだっけ?」とマスクを外して自分の顔を指指すと、秀ちゃんがきょとんとした顔で「斉木さんでしょ」と言ったのだ!なんでそんな当たり前の事聞くの?といった表情だった。

もおびっくりして、嬉しくて嬉しくて、「秀ちゃん!すごい!覚えててくれたの!!?」と秀ちゃんの頭を撫でまくると、これまた嬉しそうな顔をして秀ちゃんが笑ったんだよ。

私は、看護師になって良かったほんとーに良かったって湧き上がって溢れ出るおもいだった。秀ちゃんの脳のシナプスが一瞬つながった!感動だった!

それからも呼びかけに無反応の日もあれば、いくらかハッキリしている日はちゃんと名前を答えてくれるようになった。

 

名前を呼ばれるって幸せなこと。それは本当に特別なこと。