純白の紫陽花①

私はいわゆる宗教2世として育った。私が小学生にあがる頃、母は宗教に入信し教えで禁じられている不倫関係にあった父と関係を切ったのだ。母はつらい気持ちを紛らわすため、幼い私の手を引いて土手沿いをよく散歩したという。                  神様の教えを守り、神様の愛をうけて生きる道を選んだのだ。

私は当たり前のように、小さい頃から神様の教えを学び、疑うこともせず母にくっついて宗教の集まりに参加し布教活動もしていた。当たり前の習慣なので苦痛もなく、日々のルーティンだった。

同じ宗教の仲間が私を可愛がってくれたし、同じ年頃の友達も多かった。      だから、学校の友達とは遊べなかったけど寂しくもなかったし いろんな年代の宗教の仲間から優しくしてもらったり遊んでもらった思い出が多い。

学校では宗教の教えを守るために、みんなと同じことが出来ず先生に説明しなければいけない事もあったが、自分が神様の教えを守ることで神様がちゃんと見ていて喜んでいてくれると思うと勇気が出た。     周りの友達もそれを理由に私を虐めたりしなかったし、学校では友達も沢山いて楽しかった。

私はそんな調子で宗教の中での洗礼を(うまく説明ができないが、認められる資格的なもの)小学生で受けた。それを受けるのが周りの子供達より早かったため、みんなのお手本だと褒められ嬉しかった。     中学、高校と私は宗教をしているからという理由で何か辛い思いをすることは特別なかった。神様の存在も教えも心から信じていたし、それが幸福感や満足感に繋がっていた。宗教のコミニティの中での自分の立ち位置も自己肯定につながっていたように思う。

固く信じていた教えから離れることになったきっかけは 私が宗教とは関係ない男性を好きになったからだ。

宗教では信者以外の人との交際や結婚を禁止はしていないものの、避けるべきこととしていた。もちろん結婚前の同棲や性に関わること全てにおいて禁止されていた。

私は、見えない神様より見えて話せて頼れる彼にどんどん惹かれていった。誰にも言えない2人だけの時間、やり取りするメール、夜中布団をかぶりながらの電話。    神様の教えから離れていく自分への罪悪感と、それにまさる彼への気持ち。      2つ大切なものがあって、それが相反するもので、どちらか選べない辛さに真剣に悩んでしまった。

神様を信じている。            神様に嫌われることをしている。      神様は私の心も行動も全部知っている。 

彼から告白された時、私は宗教をしていてそれを大事に思っていること、だからあなたを好きだけどキスをしたり、それ以上のことを結婚前に出来ないことを伝えた。

彼は驚いていたけど、それでも私のことが好きだから付き合いたいと言ってくれた。

それから内緒のお付き合いが始まった。

デート中は車の後部座席に座った。いつ宗教の仲間に見られるか分からないからだ。

出かける時は母に嘘をつきて出かけた。 そして数ヶ月後、何も知らない母に私は宗教と関係ない人と結婚すると突然伝えたのだ。

19歳の冬だった。